お子さんを留学させる親御さんが、よく学校見学にいらっしゃいます。
今日はインドネシアから、7月生の申請をしている学生さんのお母様。
なんともチャーミングなTシャツ^^ 日本刀は人気なのでしょうかね。
そういうインターカルトも、2月18日のアクティビティは「刀剣博物館見学」。
欧米人学生を中心にすぐに満員御礼…だったそうです。
日本刀のお母さん、とっても明るく、
私と一緒の写真もポーズを変えて何枚も撮って帰られました。
お子さんのご入学を楽しみにお待ちしておりますね〜。
豆まきスケジュールというタイトルの、
豆まき分担表という添付ファイルのついた専任教職員宛ての
一斉メールが夕方きました。
明日は節分。
「豆まきの作法」(!?!?)というサイトに、
1.福豆を準備します
2.豆まきは夜にします
3.豆をまくのは一家の主人です
4.「福は内!鬼は外!」と豆をまきます
と書いてありましたが、
私たちのは2と3が作法にかなっていませんねー。
2.豆まきはお昼過ぎにします。
3.豆をまくのは、分担表の先生とスタッフと学生たち皆で。
豆まき以外に「かぶりもの担当」という役割もあります。
私は、豆まき第1部が始まる少し前の飛行機で2017初出張。
人から、大変でしょうと言われるけれど、
一人で苦労を背負ってるわけでは…まったく。
人より少し口八丁手八丁だから、というのも多分にあり。
出張に持っていくものを準備したり、
講座の代講をしたり、
豆まきやかぶりもの=鬼の担当の人たちがいてくれるから、
遠出ができるのだと…(日常業務しながらイベントは大変!)
だから私は、福をお土産に帰ってくる(決意)。
さて、この仕事をしたからなのか、今の時代、当たり前なのか、
カタカナの言葉を結構覚えたように思います。
アイデンティティー(identity)もその一つです。
ここで言うアイデンティティーは、
「国・民族・組織などの特定集団への帰属意識」というような意味。
昨日の日経新聞の今月の連載記事に、日産社長カルロス・ゴーン氏が、
「アイデンティティーは国籍では縛られない。
どの国の出身であるかはその人がどういう人かということと全く関係がないのだ。」
と書いています。
こういうことに、はっきり「うん」と頷けるようになったのは、
やはりこの仕事をしたおかげだろうと思います。
日本の少子高齢化による人材不足のため、留学生30万人計画達成のため、
そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピック、
これからもっともっと外国出身の人、外国語を話す人が日本に来て、
自分の隣に普通にいる時代に。
そういう今、ゴーン氏の言葉はとても大事な根底の考え方だと思います。
あっちこっち飛び回っているからではなく、
外国人9割>日本人1割という中で、日々さまざまな異文化体験をしているから、
だから自然と身についた。これは他校の皆さんも同じですよね。
だから反対に、在校生や卒業生、たった2週間しかいない教育実習生なんかが、
「うちの学校」と言ってくれるのを聞いたりすると、とっても嬉しい気分になります。
アイデンティティー、ですよねえ。
で、最後になりましたが、冒頭、
ピカチュウの着ぐるみを着たイタリア人とイタリアで撮った写真。載せるのなくて。
書くことに事欠いて、今日は浜納豆。
去年12月の浜松の大学訪問の帰りに駅で買いました。
家康公も好物だった浜納豆
食べればあなたも天下人
と、袋に書いてあります。
あなたもってねえ、これ食べて天下人になれるなら皆食べますよ、
と言いたいけれど、それ見て買ったのも事実です。
見た目は、こんな。なんのフンみたいでしょう。
キャッチコピーなくこれだけ見たら、おそらく買わなかったと。
味はよいです。とてもしょっぱいお味噌。
Amazonでも売っているみたいですが、そこの説明に、
「チーズのような食感」。いや、味噌です。
なんであれ、家康公は天下人。
265年も続く江戸時代の土台を作ったのだからすごいです。
つなげる、続けるって、言うは易し行うは難しですから。
インターカルトは江戸時代のまだ5分の1弱の40年、
(…でも、5分の1、それはそれですごいですよね)
この間発足したインターカルト創立40周年委員会、
これから1年かけて、40年を冠に色々していくのですが、
その共通テーマが「つなげる・つなぐ」になりました。
50周年の時にはねえ、私たち、もういないかもしれないしねえ、
(かもではない!)ということで、次につなげる40周年です。
家康も、一人で200年ではないですからねー。
筆者の中のお一人、Fさん。
インターカルトの日本語教師養成講座修了生、
韓国の企業研修をしていた時、一緒に仕事をした人、
さらに、奥さんとはインターカルトで知り合った。
…とくれば、頼まれなくてもここで紹介したくなり。
20年前の彼の養成講座時代、校舎は高円寺だったので、
秋葉原は初めて。久々の再会。
この本、難しい入国管理の手引書ではなく、
行政書士の皆さんの日頃の実話をまとめた「読み物」、
面白い…とamazonのコメントにあります。
最近の私の十八番(おはこ)とコラボしたら面白いかも。
インターカルトの修了生同士、得意中の得意のコラボレーション。
話している間中、楽しい企画がぐるぐるたくさん浮かびました。
子供のころ思い描いていた私の将来は、
着物を着て、割烹着をしてしゃがんでお風呂に薪をくべている姿。
それがずっと頭の中にあったので、
結婚してすぐに、ハクビ着付け教室に通いました。
一応、お嫁さんの着付けというような段階までしたのですが、
その後、自分で着物を着るチャンスなし。
それが、日本語教師に転職して何年かしたところで、
卒業式に着物を着ましょう!という話がいきなり起こり、やったー!と。
それから、入学式、卒業式、スピーチ大会、海外での留学フェア等で、
積極的に着物を着るようになり、現在に至る…です。
本日、2017年1月生の入学式。
あの、毎日着物を着ている嫁を目指していたころ(!?)、
まさか22もの国の学生たちと一緒に写真に収まることになろうとは!
何がどう役立つかわからないものですよね。
そして今日の赤い着物、外国人学生を相手にしているこの仕事だから。
普通、この年の人は着ませんよね。黒柳徹子さんくらいしか。ねえ。
ということで、いつ、どこで、何が、どう役に立つかわからないから。
今日、入学してきた皆さんも…。
今年も1月5日を経て、1月6日。
昨日はインターカルト日本語学校の年の始めでした。
朝、専任教職員全員で朝礼。
新入生来日、日本語教師養成講座の授業スタートのため、
短めに一人一人、一年の抱負を。
今年は、日本老人学会から一昨日発表された、
「高齢者は75歳から」というニュース
(ちなみに、65歳から74歳は「准高齢者」)を受けての、
健康がテーマの一言が極めて多し。
准に準ずる年齢層、及び健康に懸念のある人多しの象徴
…ですかねえ。。
夕方から有志で、今年で5回目となった浅草寺参拝。
その後、インドネシア、Daruma Educationラマさんの
送別会を上野で。
すべてすべての「終わりなき♪」を祈って始まった2017年。
私は、広げてきたことを一つ一つ、
丁寧にきちんと形にする年に…いたします。ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
2017年2日めの日が落ちかけた頃の南西の空。
月の左側にあるのは、金星…ですよね?
あけましておめでとうございます✨✨✨
私にとって、金星といえばラッキー金星。
今、LGと言っている韓国の財閥企業のかつての名前です。
あの時があるから今があるという時期が、
私にはいくつかあって、
その一つがサムスン(当時は三星)、LG(ラッキー金星)、
現代、大宇、起亜、POSCO(浦項製鉄)といった企業の
研修を、インターカルトの新規事業開発部門だった、
ILCという部門で受けていた時期。
私はそこのマネージャーだったのですが、
日本語研修ではない「日本研修」のプログラムと教材を、
メンバーと一緒に夜も週末も惜しんで作った30代半ばのあの頃、
今思い出すと、私が最も輝いていた時代だったように思います。
が、その時代にはオチがあり、これらのプログラムは、
1997年のアジアの経済危機で、まさに一瞬にしてゼロに。
言葉の需要が外的要因によってドラスティックに変わることを
身をもって学んだ瞬間でした。
ついでに、もう一つのあの時があるから…は1992年。
上の韓国企業の前のことです。
インターカルトの分校がインドネシアにできることになり、
その、ほぼ立ち上げ隊としてジャカルタに渡りました。
当時は日本企業が東南アジアに勢いよく進出し始めた時代。
今以上に日本語の習得に大きな期待もメリットもあり、
私はそこで、本当に多くのことを学びました。
(ジャカルタは、日本語教師こそ私の天職!と舞い上がっていた
教師5年めの時なのですが、行ってみたらマネージャーだったそこで、
まずした日本企業への営業。それがものすごくうまくいって、
なーんだ、私の天職は営業だ!と。→現在に至る。)
あー、お正月から長々と失礼しました。
以下、Facebook で公開した、東に初日、西に富士です。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
香港&マカオでの、
「若手の先生時代」にタイムスリップした3日間は、
あっという間に過ぎて、もう帰りの飛行機の中です。
最年少、20歳だった学生が50になっていました。
30年の日々も、振り返ってみるとあっという間、
けれど記憶をたどると、一年一年はやっぱり重いです。
インターカルト日本語学校は、来年、創立40周年、
40年分の卒業生たちが東京に集合!…を企画中です。
※詳細、決まったらお知らせしますね。
1977年にY理事長が興したインターカルト、
その後、色々色々、本当に色々を経ながら、
T本部長、O社長の後、2000年に私が引き継ぎました。
2002年の25周年の時は、創設以来の教職員の方々を招いて、
それまでのお礼と、これからは私たちが!宣言の会をし、
2007年の30周年の時は、お世話になっている外部の皆さん、
他校、進学先や業者さん、そして応援団の方々を招いて、
私たちはこういう学校を目指します!のような宣言の会を。
2012年の35年目の年は、震災の翌年、そして…、
すべてにおいて原点に立ち返る年となり、会はもちろんなし。
そしてこの間、11月にした教職員の自己評価のシートに、
40周年記念に何を?…を記入してもらったところ、
今までの“卒業生&教職員”で大同窓会!が断トツという結果。
…よって、来年します。
目的地(羽田)までの飛行時間 1:05。
大晦日に、日にちが変わる前に大急ぎで家に帰ります。
香港の皆さん、ありがとうございました!
皆がいた2つのクラスを持てたことは、本当に幸運でした。
インターカルトで教え始めて間もない頃、
教えることにも、準備にも、学生と遊ぶことにも、
100%ずつ、計300%全力投球していました。
その頃の学生たちが今年、日本留学30周年で、
その非公式!同窓会のため、香港に向かっています。
彼ら彼女たちとは、20周年も25周年もしていて、
今は他校で教える、当時一緒にクラスをもっていた
ochiai 先生と、今回も一緒に(違う便で^^ )行きます。
あの頃のように、なーんのしがらみもなく、
ほとんど年の変わらない元学生たちを前に、
ピュアな日本語の先生に戻るのは、
今年の締めくくりとして、とってもありですね。
窓下に見えた富士山の姿も絶好調!でした v(^.^)v