羽田上空をうろうろして、名古屋に行って羽田に戻ってきた、
なんていう私の台風被害はまったくどうでもよく、
今まだ、ついこの間の被害とその残務が残っているところに、
またしても直撃、大被害…に言葉もありません。

「台風一過」」という言葉が、無責任で嫌いです。
大きな爪痕を残しながら、行ったぞ、晴れたぞ、青空きたぞって。
「台風」で myフォルダを検索したら出てきた学校近くの医院(跡)。
玄関の上に「××醫院」(醫は医の旧字体)とあります。
斜めの電柱は何を支えているのか。
そもそもなぜこれが「台風」という検索で引っかかったのでしょう。
ところで、「台風」は英語の「typhoon」(タイフーン)が語源?
元々の中国語は「颱風」(タイフォン)です。
偶然てとてもおもしろくて、台湾に行く前から読み始めた小説に、
さっき、それに答えるような件(くだり)が出てきてびっくりしました。
颱=大きい、風=風なのだから、中国語としてちゃんと意味がある。
だから、中国で生まれた言葉だという主張。
それに対して、外国から入ってきた音に、中国語で意味の通る漢字を
当てることだってある。だから外来語かもしれないという主張。
このお話の主旨は、中国固有語か外来語かの二者択一ではなく、
言葉は国境できれいに分かれて存在するのではなく、
人間の移動、交易、征服、探検などによって移動する。
つまり、一つの言葉の中に人類の接触の歴史が残っている。
・・・という深い話です。
9月15日の日経新聞朝刊の一面に、
「高度人材の来日、昨秋から減少 AI余波、審査も厳しく」
という見出しの記事があり、ああ、そう繋がるのかと思いました。
記事には「AIの普及によって、ITや通訳・翻訳の求人自体が減ったと
みられる」とあります。つまりこれらの業務がAIに代替可能になる。
うーむ。
深い話になると人間が必要なのではないか。
でも、ただの通訳家・翻訳家ではダメなのではないか。
では、人間には本当にそれができるのか。
むしろ、AIの方が様々な背景から優れた翻訳ができるのではないか。
そもそも、翻訳とは何なのか。
たった一つではない意味を持つ言葉から、
また違う、一つではない意味を持つ言葉に変換する時に人が介在する。
その介在する翻訳者がそれぞれ、その人固有の文化を持っている。
そうすると、そこで翻訳される言葉は違うものに当然なり得るのです。
正しいとか、間違っているとかではなく。
以上。
こんなことを考え、新たに何かを知り、思いを巡らしながら、
余りある残りの人生をのんびり過ごすのもいいかもしれないなぁと、
シルバーウィーク最終日。しょぼ降る雨の音を聞きながら。
